稚拙な電脳記録

Twitter以上ブログ未満

オッペンハイマー観たよ〜という記録

       「American Prometheus」

  映画の原案となったノンフィクション小説の原題

オッペンハイマー原子爆弾を作り人間に原爆という火をもたらした。

 

 『オッペンハイマー』会話劇が主な映画でありながら緩慢した部分は少なく180分常に緊迫しており飽きないで楽しめた。テンポが良くパワフルでいながら叙事詩であり、壮大だが狭い映画。私は映画後半に泣きそうになった、感動とも共感とも違う何かに揺さぶられて泣きそうに。

 オッペンハイマーの科学者としての追究や疑念など、やはり映画は画で魅せるものであり、語らずとも把握することができる様にできていた。アメリカが広島、長崎に原子爆弾を落としたことをラジオで知る場面はなんとも言えない。戦時下でのアメリカの側面から見た出来事であるからして現代の何かに寄ったシーンにはして欲しくなったので良かった。

 スピーチでは大義であるという風に話しているが、言葉と思考の齟齬に内心壊れそうになっているオッペンハイマー。爆心地の被害者を想像、というより科学者だから幻覚を見てしまう部分により苦悩や呵責が生まれ始める。核爆弾を作り、会議にも参加したが、自身の手から離れていき、「この国はどんなものでも躊躇なく武器にしてしまうのだ」と、次の水爆について懐疑的になり水爆実験を推進する国への疑念や対立が浮き彫りになる作りになっている。

 IMAXで観ると映像、音、演技に圧倒される。65mmフィルムで撮られた映像はIMAXシアターで画面いっぱいに映し出され表情の機微が認識しやすく大迫力の音響で映画に没入できる。次は普通の上映形態で観るが25日の先行上映をIMAXで観てしかいないので今はまだこれしか言えない。

 

 映像はホイテマで『インターステラー』以降タッグを組んでいて安心感がある。ゴランソンの劇伴は作品に寄り添い緊迫感、情熱、苦悩、映像を支えててくれる。

 

 音や構成にはいつものノーランらしさが端々に現れておりノーラン映画入門編としてもいいかもしれない(変なイメージついてしまうので多分良くない)。微ネタバレになるが、映画冒頭に後半再度使うシーンをフックとして持ってきているのは『プレステージ』『インセプション』同様で印象的だ。『ダンケルク』の「陸」「海」「空」ように分けられた三視点「大学〜マンハッタン計画オッペンハイマー」「ストローズの公聴会」「オッペンハイマー聴聞会」からなる映画だ。時系列としては一番新しいストローズの公聴会ではモノクロで作られておりノスタルジーや緊張感を感じさせる。オッペンハイマーの話だがそれに付随した公聴会は『プレステージ』同様、対立が焦点となるがストローズの視点から見えるものや目的がはっきりしており面白い。

 聴聞会でオッペンハイマーの立場のない状態では、おしつけがましい説教をされているような、決められたレールの上を通っているような感覚になり妻キティもいるが孤独で息苦しさが見て取れる。

 物理学者たちの、オッペンハイマーの式やマンハッタン計画のメンバーとの会話など私は難しいと思わなかったが、ぶっちゃけ物理学の理論が解らなくても理屈さえ知っていれば楽しめる。数式を詳しく会話に組み込んでいるわけではないので。

 

 前述した通り会話劇が主だっているので人物や話は追いやすく字幕だけでも情報は足りるが、画で補完…というのは正しくないかもしれないが画面内で構成されたモノ、天候や構図や対比で感情や立場などが分かりやすい。本作は視覚的にも際立っており、ボーアに言われた言葉により創造力を掻き立てられる場面やトリニティ実験などは言わずもがな全編を通して情報が詰まっており楽しい。

 

 構成や展開、構造は『インセプション』に近く想起させた。

キリアン・マーフィーが出演なのもあって意識的なのか無意識的なのか分からないがキリアンの顔をアップで表情を長めに撮っている。したがってオッペンハイマーの苦悩など精神に起因する表情の演技も良く不安定さや誠実さなど、軍人ではない科学者ならではの考えが見て取れる。

作家性の強い映画監督は内容が違ってもやってることは変わらないのだなと思ったりもする。ノーラン、フィンチャー、キャメロン、トマス・ヴィンターベアとか。

 

 撮影監督が異なっている過去作を見てもノーランのビジョンが一貫しているのは好ましい。しっかり理屈で、理性で作っているのはメイキングやインタビューや対談で知ってはいるが作品を通し完成形を見ることで何を作りたかったのかを知ることができる。

 今作はどの作品よりも誠実に主人公や題材を描いておりとても分かりやすい。ノーラン映画の集大成といっても過言ではないだろう。

 

 

アインシュタインオッペンハイマーに喋った内容が心に残る。

ラミ・マレックの登場時間は微々たるものだが作品における重要であり良いアクセントになっており好きだ。

ロバート・ダウニー・Jrが演じるストローズの狡猾さや執念は目を見張るものがある。

マット・デイモンはやっぱり主張が強いな〜画面に誰がいようと一番目を引く演技をする『インターステラー』もそうだった。

 

(軽く書いてみたが概要をなぞったネタバレも何もないつまらない感想になっているな)

エスケープ

エスタブライフ5話おバカ回で好き

ノーパンでいるしかないクラスタから逃げたい依頼者。パンツを履きたいから別クラスタへ逃げたいという。最後にクラスタの重要な部分が変更され大きな伏線(?)があるし

 

 

逃し屋の女子高生3人と獣人1人とロボット1体が、自分の住むクラスタに馴染めない依頼者が別クラスタに逃げたいと願いそれを逃す1話完結型の逃し屋のお話。(逃し屋みんな好き)

 

最後の依頼者Mさんが願いと、「東京」の成り立ちを語るのが良い。ユートピアを作るためにに生み出された「AI」ユートピアを作ったが争いが起き、反乱分子を分散させ争いを減らす為のクラスタだと知り、住民は管理社会とは認識しない程度でありながら『逃げたい』と願う人たちを別クラスタへ逃す調整の為、高度な物理演算による擬似未来視をエクアへ与えているのが良い。

管理社会然としておらず設定がありつつもそれを描かないのはメディアミックスとして始動したからなのしれないが、それがいい。(ゲームは暫く音沙汰がないがどうなのスクエニ)

世界の管理者ザ・マネージャーはシンギュラリティに達しているのでは、と思う程の返答。データをコピーしエクアたちと同行、本体は初期化というのは今後活かせそうで良い。

世界の管理者と主人公の会話は好きだ。「マトリックス リローデッド」やスパイダーバース2しかり。

 

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オルソの感想+α

私はシン・ゴジラが好きだ。巨大生物の出現から対処に右往左往する政府関係者、タバ作戦の武器の無制限使用。ヤシオリ作戦も。

巨躯を揺らしながら、しかし軸はぶれず進むゴジラの強さ。急激に進化し第3形態以降の無機質で生物とは言い難い造形(前田さんのデザイン好き)

放射熱線の時に顎がヘビのように二つに分かれ、黒煙を吐き、熱焔になり、放射熱線となる。歴代のアトミックブレスで1番好きだ。絶望感が凄く、かっこいい。

 

下手なホラー映画よりも上記にある熱線の夜のシーンは怖い。

 

米軍のMOPⅡ攻撃。

悲壮感溢れる曲で何が起こるか理解する。

Who will know」が流れ始めると米軍の攻撃は無駄なのだということを。初撃後、ゴジラによる放射熱線による迎撃で大破する米軍機。絶対的強者による蹂躙。崩壊する街。

 

放射熱線により街が燃やされ壊滅する場面は1954年のゴジラを彷彿とさせる。ゴジラが最強で最恐の生物であると。

街を壊滅させた炎の明かりが照らすゴジラの姿は強大で神々しい。モノクロはその荘厳さを際立たせている。神を冠するGODZILLAらしく。

 

オルソでは色の情報が少なく、画面レイアウトの良さや会話、軍事作戦で多く人の表情の機微がしっかりと見えるのが良い。(エンドロール含め)119分でこんなにテンポがよかったのか、と当時は感じられなかった部分などを発見できた。

16年の初見時はEM20の多用はエヴァの実写では?と思っていたくらいだ。だが、伊福部昭ゴジラのテーマが流れると否応なくこれはゴジラ映画なのだと再認識させられる。唯一無二のテーマ曲。

 

てかマジで『シン・ゴジラ:オルソ』良すぎた。オリジナルよりも好きだ。ゴジラ映画で一番好き。やっぱりゴジラの造形も好きだ。

 

PS.ゴジラ−1.0』も観た。面白かったが、庵野さんが言っていたように人間ドラマが長かったとは感じた。54年のオマージュもあるが、銀座を破壊した部分に絶望感を感じなかったのが少々物足りなかった。予告にもあるが、海神作戦での駆逐艦雪風と響が交差するとこ好きだった。ゴジラのテーマが入るタイミングも良かった。アトミックブレス後の焼けたゴジラの顔も好き。尻上がり的に面白くなる作品であったのと、万人受けする作品であることは確か。

5.5thライブの雑記

ロッコの時に見たファンサ

 

小糸のオタクがアピールしたのか頭を下げてお辞儀をする小糸

 

うちわ(多分)を持ったオタクにバンッと指で作った銃を撃つ円香

 

ややさん指ハートや手を振るの多くてオタク嬉しい

 

3個しかねぇもったあったけど細部(というか殆ど)は忘れた…バカじゃん…

 

 

現地と配信では感覚が違うのだが、1日目はシャニマスを感じ、2日目はアイドルマスターシャイニーカラーズ、ようするにアイマスを感じた。形骸化しつつあるアイドルマスターの部分。ソロ曲はともかく、シャニマスはユニットによるコンセプトが固まっており、曲毎のテーマはあっても特定の曲の為に組まれたモノではない。それ故に、シナリオで変化していく部分を踏まえた歌詞など、コテコテのキャラソンというわけではない。

 

初期組と追加組の違いは大きい。シャニマスという色が足されていく作品に於いて追加組のストーリー性、曲のインパクトが重要な役割を担っていたというのが感じざるを得ない。ノクチルの追加以降ゲームのシナリオの演出面が大幅に変化していった様に。取り巻く環境や距離感の変化。アイドルを表示してテキストを表示すれば良い、というありきたりなアイドルゲームではなく、間を重要視し背景に効果音だけで場面を想起させるのや、街頭や排水溝、空や天井など、目を合わせずに下にある物や上ないし遠くを見ている等、映像作品やビジュアルノベルみたいに。

 

DAY1は、各追加されたタイミングの周年衣装。周年曲を追加された時のユニットとコメティックで楽曲を歌唱とパフォーマンス。どちらも最高。コメティックの事前情報が少なかったので初披露の曲に集中できたのは大きい。

B2ブロックだったので、センターステージそこそこ近いし、通路近くだった為トロッコはすぐ横を通り演者が近く良かった。(ファンサやったー!)

 

ノクチル良すぎ。

 

DAY2は初期組で最初の衣装であり、放クラがMC1stの話をしたり最終ブロックでは各ユニット一曲目を、最後の曲にシャニマスの一曲目であった。

5.5thでありながら、初心に返る。アニメの放送(先行上映)やシャニソンの配信などがこの先にあり、それを踏まえ大きな区切りをつける、という印象のライブだった。

 

「星が見上げた空」というライブのコンセプト、コメティックの追加。パンフレットに記載されている『彗星について』を読めば今後の展望を計り知ることができるかもしれない。

 

ていうか、現地だったのも理由の一つとしてあるが、セトリも何もかもDAY1最高すぎやしない?ライブ開始前にコンサートライトを消すようにとあって、どんな風に始まるんだとワクワクしていたら、彗星の飛来からの一曲目「無自覚アプリオリ」で始まり、中弛みもなく最高で突っ切って行った2時間半。最高。

 

 

 

「平行線の美学」好きだし、鈴木も好きかもしれない。シナリオで好みかどうかでもあるが、顔面と声が好きなので。

あと、三川華月さん結構好きかも。(オタクは軽率に人を好きになる)

 

三峰結華も樋口円香も発表された時、まず見た目に惹かれた。後者はcv.が土屋李央だったのもあるが、他作品でも見た目でビビッと来た存在はシナリオ面でも好きな事が多いので多分好きなんだと思う。

 

銀テ

終わり。

無題

掃き溜めとしての「はてなブログ」を再開?というかリハビリとして利用していこうと思う。これはTwitterではないし、私自身が入力しては嫌悪感を抱き頭の悪い短文をツイートしているのをしなくていい。学もないし、どうせ誰もみていないのだから。


再開の理由としては二つある。

まず一つ目は、以前のような(過去のブログはまだガキの頃なのでノーカン)長文のレポートが書けなくなってきているからだ。Twitterのような短文の連なりでしかなく、文章として為していない。


二つ目、勿体無いから。(こっちの方が大きい)

自分のモノを持っているのにも関わらず無為に放置している。勿体ない。ただそれだけ。


余談だが、本を沢山積んでいる。裏ピの6.7巻や異常論文、ララバイなどの本だ。その他にも8冊くらいある。早く読めよ、と思うが文章を読む気力が衰えてきている。一日にそこまで読むことができない故に後に後にと後回しにしてしまい、新しいのが積まれていく、これの繰り返しだ。


淡々とツイート内容だけ入力し、余分なモノを削ぎ落としていると「文字数を稼ぐ」という行為ができなくなってしまう。これを危惧して再開したに過ぎないのだが、これすらも消してしまう。記念にただ残しておくが。


ブログとしての文体を余り理解できていないので、形を再形成しつつやる。